今日も出張である。
空気のきれいな東北はいつ来ても清々しい、ハズだった。
しかし気分を一変させる出来事。
そう、地震である。
地震や自然災害は地球規模からすれば些細な出来事であり、
当然の現象なのであろう。しかし人間の無力さを感じてしまう。
ここは震源地から50kmほどのところであるが、昨夜の余震でも
ホント怖かった。10階建てホテルの最上階の部屋にいて、
揺れがもの凄かったのである。
建物は建物自体が揺れることで衝撃を逃がす構造と解かっていても
尋常ではなかった。微震に慣れている私ではあるが、こんなに
ドキドキしたことはなかった。
大規模震災を経験された方の気持ちを少し理解できた気がする。
無事これ幸いである。
そして亡くなった方々へは冥福を祈らずにいられない。
未だ行方不明の方々の無事も祈りたいのであるが・・・
今朝出張先へ伺ったら、そこに出入りされていた方が土砂崩れに
遭遇して亡くなったと聞いた。
何とも言えない気分になった。
無常な気持ちとはこういうのを言うのであろう。
今日、頭上を報道ヘリコプターや自衛隊のへりコプターを見かけたが
テレビのニュース放送では逐次詳しい情報が送られてくる。
しかしテレビ報道の行き過ぎには目に余るものがある。
家族が泣き崩れる姿を見るのは私には耐え難いのである。
「もし自分の身近な人が・・・」と、我が身に降りかかる辛い状況を思うと
やり切れない気持ちになる。
報道する側にも理屈はあろうが、何もそのような姿を放送しなくても
良いと思わないだろうか。大切な人を亡くして我を忘れて悲しむ姿を
誰が見たいと思うのであろうか。
不幸な出来事があったことを報道したいなら、モザイクなりの放送の
仕方があるハズである。
相手の中に土足で踏みにじるやり方はどうにも許せない。
節操がなくなったのは価値観が変わったということなのだろうか。
見境の無い人間が、適当に判断して商業主義で企画している
としか思えないのである。
旧い、あるいは堅物と言われようが「ならぬものは、ならぬ!」と私は思う。